億男とチャップリンの関係は?お金と幸せの答えを考える
川村元気氏の著書「億男」がついに映画化。
10月19日に全国一斉ロードショーです。
主演は佐藤健、そして高橋一生です。
ハンサムな佐藤健が妻子に逃げられた役柄を演じており、役者としての幅を感じさせる一作となってます。
本作では「お金と幸せ」についてテーマが掲げられおり、非常に興味深い内容となっています。
作中ではチャップリンの名言が引用されています。
大金を得たチャップリンにとって幸せとはなんだったのか?
これに焦点を当てて書いていきます。
億男とは
〜あらすじ〜
弟の借金の肩代わりをしたことで、妻と子供と別居し家族がバラバラになってしまった一男。
借金返済のために昼は図書館司書、夜はパン工場で掛け持ちで働いている。
ある日、一男は3億円の宝くじが当選し億万長者となり、借金返済に夢膨らます。
特に離れ離れになった妻と子供と再び生活できることを夢見ていた。
しかし、ネットを覗くと大金を手にした人の悲劇ばかりが目につく。
多くの宝くじ当選者は破産の道を辿っていたからだ。
不安に駆られた一男は、大富豪となった学生時代の友人、九十九のもとを訪ねる。
15年ぶりの親友との再会に一男はすっかり酒に酔ってしまう。
しかし、酔いつぶれた一男が目を覚ますと九十九は3億円とともに姿を消していた。
一男は九十九の行方を追いながら、大金をめぐり家族や友情のあり方を探していく。
チャップリンとは
“喜劇王”チャップリンは1889年ロンドン生まれ。
本名チャールズ・スペンサー・チャップリン。
両親は共に歌手で1歳の時に離婚。舞台デビューは5歳の時で、声の出ない母親ハンナの代役だった。
10歳で地方劇団の一座に入り、演技を磨いていく。
12歳、父親がアルコール中毒で死去。母は心の病になり病院に入る。
孤児院で生活し、生きる為にガラス職人や床屋など様々な仕事を体験、時にはコソ泥もやった。
19歳、名門パントマイム劇団に入り寸劇の人気役者となる。
21歳、同劇団の初めての米国興行が成功し、1913年(24歳)の2度目の米国巡業でプロデューサーから才能を評価され、週給150ドルでキーストン・スタジオに入社する。これをきっかけに米国が活動の場になっていった。
そして20代にして時の大統領の7倍もの給料を手にします。
役柄は上記の写真のようなフザけたキャラですが、イケメンだったりします。
チャップリンのお金と幸福について
チャップリンの富
彼は名言としてこんな言葉を遺しています。
人生に必要なものは、
勇気と想像力。
それと、ほんの少しのお金です。
孤児院として生活を余儀なくされた一方で20代にしてアメリカ大統領の年棒の7倍もの大金を得たチャップリン。
その後も映画俳優としての成功を収め続けました。
金銭面に関しては間違いなく成功したといって良いでしょう。
多くの人なら
「3億円の宝くじに当たったらどうする?」
という問いに対して、
「仕事を辞める」と答えるでしょう。
しかし、彼はそれでも仕事を続けます。
彼にとって仕事はお金だけではなかったのです。
チャップリンの幸福
チャップリンの家族に焦点を当てたいと思います。
チャップリンは4度の結婚と4度の離婚を経験しています。
(事実婚1回を含む)
最初の結婚では離婚時に当時の大統領の年棒と同等の金額+旧友財産の半分を支払います。
そして2番目との妻とも巨額の慰謝料を払い離婚しています。
心労からチャップリンが白髪になるほどのストレスを受けたそうです。
そんなひどい結婚歴の中でも彼は3度目、4度目の結婚をします。
彼ほどの人物であれば愛人を囲むことは簡単だったはずですが、そうではなかったようです。
4度目の妻との結婚生活は30年におよび、8人の子宝に恵まれました。
チャップリンは幼少期に両親が離婚しており、母も病気になったことから大変な苦労しました。
そうした彼は大金を掴んでも家族への憧れがあったことを想像させます。
まとめ
1.チャップリンは極貧から大金持ちになった。
2.大金を得ても仕事を続けた。
3.結婚生活は波乱万丈で離婚の度に多額の慰謝料を取られた。
4.金持ちになったもなお家族を求めた